ソラの気ままな日記帳

年子との日常と私の想いのままを書く日記です。

お盆を迎えて想う事


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こんばんは。

今日はとても懐かしい祖父の事を思い出していたソラです。

もう私の祖父母は全員亡くなっていますが、特に思い出深いのが母方の祖父との最期です。

 

こういった話が苦手な方、不思議な話が苦手な方は読まなくて大丈夫です。

 

淡々と書きますが、お付き合い下さると嬉しいです。

 

目次

 

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祖父の人柄

ここではとても書けないような、とても気性の荒い祖父だったと小さな頃から聞いていました。

今考えれば家柄が自分の価値だと思わないと周りに潰されてしまいそうな気の弱い祖父の心が、内弁慶として大爆発していたんだろうなと思います。

まぁ家族はたまったもんじゃないでしょうけどね。

 

そして私から見た祖父はなんでも願いを叶えてくれる穏やかなおじいちゃんでした。

 

全然違いますよね(笑)

でも私は祖父が怒ったところを覚えていませんし、いつも私に催促されながら外に一緒に遊びに行ってくれた楽しい思い出しかありません。

いくつも思い出がありますが、田舎に帰るといつも近くの橋から釣りをして、釣った鮎を囲炉裏で焼いて食べた事が今でも忘れられない思い出です。

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祖父の入院

祖父は60代後半で癌を患い亡くなりました。

家族がいないと、というよりは私がいないとご飯を食べないという事で最期を迎えるまでの2週間は母と一緒に田舎にいて毎日病院通いをしていました。

 

病院食は食べたくない

ソラが持ってきてくれる物は頑張って食べる

 

私が持っていった物を私と一緒に食べる時だけ、穏やかだったそうです。

 

そしてこの言葉に母は呆れつつもサンドイッチやバナナを私と共に運んでいた事を今でも話してきます(笑)

私は私で母が男兄弟の中のたった1人の娘だったので、その孫は特に可愛かったからだろうと親戚の人に言われたのを覚えています。

母への罪滅ぼしもあったんだろうな、なんて思いますけどそれでも嬉しい事に変わりありません。

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祖父との最期

私はまだ小学生でショックを与えない為にと祖父が亡くなった時、近くには行けませんでした。

大人のみんなが祖父の周りを囲んでいるのを病室の外から眺めていたのを覚えています。

 

そして気付けば私は病室の外に座って眠っていたそうです。

 

ここからが結構騒動になっていたみたいです(笑)

亡くなったのは昼過ぎだったのですが、疲れて眠ってしまったんだろうと思われていた私は何をしても起きなくて、目を覚ましたのは次の日の朝だったそうです。

しかも色々な準備があり、親戚も沢山いて寝かしておける場所が祖父の横。

親戚の人からはお気に入りの孫だから連れて行かれる、なんて言われた母は本気で祖父に連れて行ったら許さないと言い続けていたそうです(笑)

 

なんとなくですが、いつもと一緒の散歩をしていた事は覚えているんです。

橋までは行けなかったように思います。

 

当時、母にも散歩してたと言っていたみたいなので私の妄想ではないと思いたいです(笑)

 

祖父らしい最後の挨拶に今でも懐かしさと温かさを思い出します。

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最後に

きっとこういう事を思い出している時、ずっと変わらず側で見守っていてくれているんだろうなと思います。

 

おじいちゃん、いつもありがとう。

 

余裕がない時に忘れてしまいやすい感謝の気持ちですが、余裕がある時は常に伝え続けたい想いです。

 

これからも目に映るもの、映らないもの、どちらにも感謝して日々を過ごしていきます。

 

最後までお付き合い下さり、感謝です。

 

読んでいただいてありがとうございました。

明日も良い1日になりますように。