私の大切な家族①
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こんばんは。
最近特に思うのですが年子ってこんなに仲良しなのですね。
その分喧嘩も増えましたが(笑)
半分宇宙語みたいな言葉で話しながらニコニコ笑い合っているのを母はこっそり見つめています。
ご飯作りしている間はいつも兄妹だけの空間になっているので混ざりにくいから寂しい(笑)
昨日は私の紹介でしたが、今日は家族の事を。
まずは大切な人生のパートナーの夫。
結婚しない!と両親に宣言していた私の言動を撤回させた人。
考え方や行動が独特なのでかなりキツイ性格の私をのほほんと、けれどしっかりと受け止めてくれる頼もしい人です。
イメージ的にはワイルドなヒツジです(笑)
ありのままを受け入れてくれているのでとてもゆったりした気持ちで過ごせています。
結婚して良かったエピソードをいくつか。
結婚するにあたって、結婚後の話し合いは必須だと思うのですが、子供の事が私には最大の壁でした。
最初は彼が年下なので、年齢差ばかり気にしていましたが相手は何も気にしていなかった事に驚きました。
むしろ私を好きになって私と同じ年齢層の方にドキッとする事が増えたそうで(笑)
どこにいても私を思い浮かべてくれている事がわかり年齢差の事は気にしなくなりました。
お互い真剣に想い合っているから結婚する。
当たり前の事なのにいざ自分の事となると急に怖くなるものです。
年齢差という言葉を、そんな私の心の逃げ道に使っていただけだったなと今は思います。
仕事ばかりな生活をしていて年齢も良い年齢。
そして子供が出来にくいと医者のお墨付き。
仕事もし過ぎで鬱になり状態が安定した途端に乳がんの疑いで退職。
今までに出来なかった事をやっておこう!
頑張った自分を贅沢させよう!
そう思い好きな事をしている時に出会ったのが彼でした。
ちなみに乳がんのしこりは消えました。
私の身体が私を休ませる為の強行手段を使ったのだと思います。
話を元に戻します。
彼は子供が好きで結婚したら子供が欲しい。
と言っていました。
年齢の問題が落ち着き考えたのは子供が出来る可能性の低い私でいいのか?という気持ち。
彼はまだ若いのでもし子供が出来なかったら…離婚してほしいと伝えました。
答えは…わかった、でした。
何年くらいを目処にするか聞いたら、数十年後と言われ…笑いました。
私死んじゃってるわって(笑)
私が納得しなくて10年後になり、そこから先は2人で過ごして行こう、と言ってくれてとても嬉しかったのを覚えています。
長くなったので簡単にあと2つだけ書きます。
最初の妊娠は私の悪阻がキツ過ぎて眠れない、食べれない、思考回路がおかしい時の事です。
その日は1日の食事がおにぎりひと口で限界。
夫は心配し過ぎて私と同じように痩せてしまい申し訳なかった。
子供が欲しかったのに栄養すらまともに子供に届けてあげられない母親って何?
いつ終わるの?もう楽になりたい。
もっと酷い事も沢山考えました。
帰宅した夫に泣きながら、今日は…ひと口しか食べられなかったと伝えました。
夫は私の頭を撫でながら、よく頑張ったね!と言ってくれたのです。
ひと口なのに?お風呂も全然入れてないのに、汚いよ?と考えていたら声に出ていました。
凄い事だよ、汚くもないよ、大丈夫大丈夫。
抱きしめられながら伝えられた言葉で私は更に泣きました。
この言葉で妊娠生活を乗り越えられたと思い、今でも感謝しています。
最後は震災の時の話です。
子供も無事生まれ、育児に悪戦苦闘な日々。
その日もいつもと同じ1日が…始まると思っていました。
息子は寝ていて夫も昼から仕事の日だったので一緒にゴロゴロしていましたがそろそろ息子を起こさねば…と起きようとした瞬間。
ドン!っと大きな音がして家が揺れました。
瞬間、私達は反射で行動していました。
夫は小さい時、私は社会人の時にそれぞれ別の震災に遭っています。
だからきっと本能で動いたのでしょうね。
いつの間にか息子の上に私、そして夫の順番で覆い被さっていました。
息子は起きたら両親の顔がすぐ近くにあって、キャッキャしていました。
揺れが落ち着いてすぐ夫が動きました。
私達に掛け布団をかけて、玄関のドアを開けに行きました。
私達を最優先で考えて動いてくれるのはとても心強くて、この人と結婚して本当に良かったと強く思いました。
ちなみに夫はビビリです。
オバケとかも苦手です。
だからこそこの行動力には驚きました。
緊急地震速報の音に驚き過ぎて、息子を驚かせ泣かせていたのはいい思い出です(笑)
息子は息子で地震がよっぽど楽しかったのか、その日の夜は笑いながら寝ていました…(笑)
本当は子供達の事まで書きたかったのですが、まさかの長文に!
文章をまとめる能力が欲しいです…。
なので子供達の事は次回へ。
読んでいただきありがとうございました。
明日も良い1日になりますように。